【NBA 88】数字で見る伝説。ジョーダンが「神」になり、レイカーズが「王朝」を完成させた奇跡の1年

「NBA 88」
この数字は、単なる年号ではない。
マイケル・ジョーダンが「攻守の神」となり、NBAの歴史が大きく動いた“奇跡のシーズン”を指す言葉だ。

検索窓に「NBA 88」と打ち込むとき、そこに現れる答えは2つあります。
一つは「背番号88」をつける稀有な選手たち(バトゥームやビターゼなど)。

そしてもう一つ、より多くのファンが熱狂を持って語るのは、1987-88シーズンのことです。

なぜ30年以上前のこの年が、今なお「伝説」として語り継がれるのか?
それは、現代のNBAでもあり得ない「異常な記録」が生まれた年だからです。

目次

1988年のマイケル・ジョーダン:人類が到達した「個の頂点」

この年を伝説たらしめている最大の要因は、当時24歳のマイケル・ジョーダンが見せたパフォーマンスです。
一言で言えば、「オフェンスもディフェンスも、彼が世界で一番だった」のです。

1988年 MJの獲得タイトル

  • シーズンMVP(最優秀選手)
  • 得点王(平均35.0点)
  • DPOY(最優秀守備選手賞)
  • オールスターMVP & ダンクコンテスト優勝

特に異常なのが、「得点王」と「最優秀守備選手(DPOY)」の同時受賞です。
「誰よりも点を取り、誰よりも守った」。漫画でもやりすぎと言われるようなことを、彼は現実世界でやってのけました。

項目1987-88 成績凄さの理由
得点35.0 PPG現代よりペースが遅い時代にこの数字。
スティール3.2 SPGリーグ1位。パスカットの鬼。
ブロック1.6 BPGガードとしては異常値。
DPOY受賞の決め手に。

レイカーズの連覇と「バッドボーイズ」の台頭

ジョーダンが個人として輝く一方で、チームとしてNBAを支配していたのはロサンゼルス・レイカーズでした。

マジック・ジョンソン、ジェームズ・ワージーらを擁する“Showtime”レイカーズは、ファイナルでデトロイト・ピストンズを激闘の末に7戦で破り、2年連続優勝(連覇)を達成。
これは1980年代のNBA人気の絶頂期を象徴する出来事でした。

ジョーダンの前に立ちはだかった「壁」

しかし、歴史は動き始めていました。
この年のプレーオフ、若きジョーダン率いるブルズを粉砕したのは、後に「バッドボーイズ」として恐れられるデトロイト・ピストンズでした。

激しいフィジカルと「ジョーダン・ルール」と呼ばれる徹底的な対策。
1988年は、ジョーダンが「個人の力だけでは勝てない」ことを痛感させられた、90年代王朝へのプロローグ(序章)でもあったのです。

【BTJ視点】なぜ1988年は現代でも比較されるのか?

今のNBAファンも、SNSで「1988 Jordan vs Current NBA」のような議論をよく見かけるはずです。
なぜ30年以上前のシーズンが、今なお比較対象になるのでしょうか。

編集長

「Two-Way Player」の基準点だからです。
現代では「攻守兼備」の選手が重宝されますが、その究極系が1988年のジョーダンです。
レブロン、カワイ、ヤニス…偉大な選手が現れるたびに、私たちは無意識に「でも、88年のジョーダンを超えたか?」と問いかけてしまう。それほど強烈なインパクトだったのです。

🗣️ BaskeTalk住民の反応

オールドファン

88年のオールスターはビデオが擦り切れるほど見たよ。ジョーダンがフリースローラインから飛んだ瞬間、世界が変わったんだ。

若手ファン

スタッツだけ見ても異常だね。ハンドチェックありの時代に35得点で、しかもDPOYって…現代ルールなら何点取るんだろ。

まとめ:1988年を知れば、NBAがもっと面白くなる

「NBA 88」とは、単なる過去の数字ではありません。
それは、今のNBAの隆盛を作った「ビッグバン(爆発的進化)」が起きた年です。

ジョーダンの伝説、レイカーズの栄光、ピストンズの台頭。
この年の物語を知ることで、現在のNBAを見る目も、きっと深くなるはずです。

BaskeTalkJapanで「歴代最強シーズン」について語る

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この記事を書いた人

NBA現地観戦2回、JapanGame2回参戦、日本代表2回観戦。
目標はカリーが引退するまでにチェイスセンターに行くこと。

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